樽本機工とクレーンのお話

今回は私たち樽本機工が取り扱っているクレーンについて、その歴史を少し掘り下げてご紹介したいと思います。

クレーン「CRANE」の語源は「鶴」で、首の長い鳥が首を伸ばした形に似ていることからその名がついたとされています。
当初、人の力では持ち上げられない重い物を吊って持ち上げる倍力装置として開発され、近代では吊り上げるだけではなく、釣り上げたまま水平移動させる機能なども付加されていきました。

クレーンの発端は紀元前450年頃に古代ギリシャで原始的な起重機という形で発明されたと言われています。
ウインチ(捲揚機)やプーリー(滑車)が発明されると、石材の運搬にはそれまでのスロープに変わってクレーンがその主役となり、御存知の通り今も残る多数のギリシャの建築物は、まさにこのクレーンを活用して建てられ、後の古代ローマ帝国の時代ではその性能も徐々に向上していったことが、様々な文献などで記録に残っています。

中世ではまだクレーンは垂直方向の吊り上げ機能のみで、水平移動の機能はありませんでしたが、この頃から港湾で利用されるようになり、本体が回転するように進化したり、動き回れるクレーン船なども14世紀には登場していますが、依然として動力は人力によるものでした。
しかし、ここからクレーンは少しずつ形を変え、様々な分野に適応して進化して行きます。

産業革命の後、最初の現代的な人力以外の動力により動くクレーンが登場します。
これは水力を利用したもので、シリンダーに入れた水の水圧で動かす仕組みが採用され、後に地形の高低差による水圧を利用したものに発展し、クレーンは港湾の荷役作業に於いても広く使われるようになり、量産されるようになっていきました。

日本におけるクレーンは、貞観9年(867年)頃に東大寺大仏の修復作業で使われた「雲梯之機」という本来は古代中国の攻城用の折りたたみ式の梯子車に滑車を組み合わせた様な機材を使用したことが日本三代実録という歴史書に記載されていて、これが史実に残る最初のクレーンではないかと言われています。

雲梯(引用:日本ホイスト)

近代的なクレーンとしては、明治4年(1871年)に旧横須賀海軍工廠創設当時の埠頭にフランス製のクレーンが設置されたそうで、なんと動かすのは人力の手動式だったため、相当重かったことが推測されます。

その後、1918年にアメリカでゴムタイヤ装着の移動式クレーンが開発され、その後トラックの荷台にクレーンを搭載したトラッククレーンへと進化、日本では昭和27年(1952年)に石川島重工業(現:IHI)が米国建機メーカーとの技術提携で石川島コーリング(現:加藤製作所)によって販売が始まりました。

昭和30年代に入り、油圧式のクレーンが登場したこの頃の日本は、高度成長期であり様々な重工業が日本の経済成長の柱となっていました。
建築物はますます大型化、超高層化し、造船や貨物輸送においても、大型で高性能なクレーンが求められ、建機としては昭和35年(1960年)に国産第1号機となるタワークレーンが製造されると、高層化するビルの建築に無くてはならないものとして、次々と生産されるようになり進化を続けていきます。
そしてこの頃から当時の弊社は樽本産業(現:樽本機工)としてIHIのクレーン製作をはじめ、自家製のクレーン製作なども手掛けてきた経緯があり、すでに半世紀以上クレーン関連事業に携わってきています。

私たちの日々の生活ではなかなか直接触れることのないクレーンですが、現代社会においては欠かせない、文字通り縁の下の大きな力持ちなのです。
樽本機工では、日本の近代クレーンの黎明期から様々な産業用クレーンの販売、工事や保守メンテナンスまでを行っており、今後も新しい時代へと適応したサービスを提供していきたいと考えています。

参考、引用:
Wikipedia日本ホイスト株式会社産業リーシング株式会社

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